「一事実」は、天香さんの自内省の記録である『天華香洞録』に、1919(大正8)年2月に記された一文です。同年、機関誌『光』が発行されると、創刊号に掲載され、一燈園生活の具体像を世にアナウンスするものとなりました。
「一事実」が記された1919(大正8)年は、パリ講和会議が開かれた年で、第一次世界大戦の戦禍を経て国際社会が平和を希求した年でもありました。
天香さんは、こうした平和希求の精神に同調し、同人・光友一丸となっての下坐・托鉢行から世界に真の平和がもたらされるとして、六万行願を発願されました。そして、その範型たる一燈園生活の姿が、この「一事実」の文でもって示されたのでした。
茲に一つの事実あり。
一人あり、十字街頭に立つ。
人なれ共光明をうけて活ける者の如し。或は合掌して何物かを拝し、或は人の家に入りて下駄を揃え庭を掃き、便所を潔め納屋を整理す。餓うれば合掌して厨房の傍に立つ。或時は与うる心清まらざれば受けず。或時は受けて暫く祈念する時、与えし人の心自然に清浄となる。不得已時にあらざれば僕婢以上の食を受けず、席に上らず又礼を受けず。随喜の家に宿り、奉仕としてあらゆる事務をたのまるるままに為し、甲乙丙丁の家に赴きて内外親疎の別を為さず、一切の人を尊み、一切に感謝し、報恩の行にいそしむ。家族ありと雖も互に相執纏せず、各々此生活にその日を楽しみ、仕えて不安の色なし。
僧にあらず俗にあらず、無限の福田ありてしかも同時に一労働者なり。生活の為に働かず、光明に養われし故に報恩の働きありとも見ゆ。富者富みて悩みあり、以て此道人に訴うれば、不言の間にはや既に己の悩みの原因を知る。貧者乏しきを嘆じて此道人に救を求むれば、其自ら尚富めるを知りて感謝と報恩をたのしむ人となる。文明の権威も此の道人の前に何等の価値なく、自ら建設して自ら破壊し、無を悲しみ又有に苦しむ痴漢となり了る。
天国の福音来世の欣求も、此道人には一種の閑葛藤となり了る。就て生死を問えば笑つて答えず、道人は誰ぞやと問うも、又合掌して顔をそむけて路頭の塵を掃く。重ねて信仰して道を問えば、唯不徳を恥ずと答う。更に切に道を求むれば、光を受けて無相に歩み行ずるなりと答う。仏に限らず、神に限らず、亦儒に限らず、斉しく「不二の光明」という門に含蓄さるるものの如し。
悶え、悩み、不足、葛藤、さては一国興廃の理、世界改造問題に就いて、随つて叩けば随つて鳴る。澄徹にして明透なり。之を歎美して頌すれば、あざやかなるは唯「不二の光明」なりと答う。柔和謙譲にして勤勉なれ共争気なし。占領の意乏しけれ共能く生産の事を喜ぶ。世間一切の思想に対しても肯定を敢えてせず、又勿論否定もせず。唯思無邪にして任運法爾なるが如し。是れ人か、光明か、そもそも又一種の痴漢か。その人自ら識らず、況んや局外をや。然りと雖も茲に此一事実あり。