光泉林では、それぞれの家族を持ちながら、一体となって共同生活を営んでいる人たちを「同人」といっています。同人達は各部門に分かれて、お年寄にいたるまで、分に応じて働いています。その働き(托鉢)の成果は、社会や個人において「おひかり」が輝き増すよう、積み立てられ、捧げられてゆきます。すべてが預かりもので、私のものというものではなく、必要なものは必要に応じて「おひかり」から与えられるのです。
一燈園生活のこの村では、光明祈願を根本規範とし、他には何の規則もありません。また、同人のほかに光友の立場でもある事業部の職員や塾生など、大勢の人達が同人と一緒に働いています。各部門の責任者を「当番」といいます。当番はその部門におけるすべての責任を負うだけでなく、その仕事に従事する人(托鉢者)が、仕事を通して道についていくことのできるよう、能力を充分に活かすことのできるよう、つねに心をくばっています。つまり働く人に托鉢をするのが当番です。
光泉林全体の責任者(理事長)も、一燈園の立場では「当番」と呼びます。また、各事業部門が「宣光社」であると同時に、光泉林全体も「宣光社」であります。
一燈園では特定の本尊はなく、諸宗の真髄を拝むので、礼堂も正面の円窓を通して大自然を拝するようになっています。それは神であり仏であり、一燈園では「おひかり」といっています。
朝課は礼拝と「維摩経偈」「一事実」など、晩課は「般若心経」と「維摩経偈」などの誦経が中心です。
「維摩経」は、一燈園の先達ともいえる在俗の覚者、維摩居士のお経。
「般若心経」は仏教の真髄を要約した短いお経であり、「一事実」は天香さんの新生涯における自内証の記録「天華香洞録」の一節です。これはー燈園生活を端的に表しています。
林内の同人はすべてが、炊事、風呂たき、掃除、托児所、保育園、学校の先生、講演、山林、農園、各事業部などで働いています。学生は勉強が托鉢です。ここでは生活のすべてが「托鉢」ですが、仕事を特に作務(さむ)といいます。求められて林外へも出て行きますが、それらの結果はすべて「おひかり」に捧げられ必要なものは与えられます。
同人の子弟は3歳になると、地域の子供達と一緒にいずみ幼稚園に入園し、学齢に達すれば、ー燈園小学校、中学校、高等学校と進学して勉強します。
小・中・高とも「行餘学文」を校是とし「行じて餘暇あれば文を学ぶ」という考えの下に勉学と実践の両道を重んじ、日常生活の中に「祈り」と「汗」と「学習」の時間をカリキュラムとしてとり入れています。
食堂に集まって板の間に正座し、合掌して「般若心経」「五観之文」「三匙の偈」をとなえてから、簡素な食事を静かにいただきます。食後は明治天皇御製「己が身はかえりみずして人のためつくすぞ人のつとめなりける」を唱和します。
財と物は預かりものであるとする一燈園生活においては、生活の節目を祝うという意味から、簡素を旨とする冠婚葬祭の儀礼を催行しています。なかんずく、一燈園生活にその身を捧げ尽くし、一燈園生活でもって人生を終えられた方々に対しては、感謝を捧げ、帰光後もともに托鉢させていただきたいという意味から、葬式を行い、朝と晩、またお盆の時期に供養の礼拝をさせていただいております。
王雲宮は、一燈園に縁のある人々を祀る倶会一処の納骨堂です。