一燈園とは

一燈園とは

 一燈園は、1904(明治37)年、西田天香(以下、天香さん)によって創始されたもので、自然にかなった生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金に換えないでも、許されて生かされるという信条のもとに、つねに懺悔の心をもって、無所有奉仕の生活を行っているところです。
 「一燈園」の名は、天香さんと親交があり、その最初期において一燈園生活の可能性を看破した宗教思想家、綱島梁川氏(1873〜1907年)の著書に因むものです。
 今一燈園では、京都市山科の一角で(京都市山科区四ノ宮柳山町)、天香さんに触れた人達を中心に自然にひとつの家庭のような共同体を形成し天香さんの示された奉仕(托鉢)の生活をしています。お光り(大自然、神、仏の意)に捧げられた土地を預かり、それぞれに托された仕事に励んでいます。その働きは、財団法人懺悔奉仕光泉林(現、一般財団法人懺悔奉仕光泉林)および、出版・印刷・農業・建築・劇団の諸事業部、学校法人組織として形づくられ、メンバーのそれぞれがこれらの部門に托鉢する(子供達は勉強することが托鉢)ことを通して奉仕に生きる喜びを体得し、経済の扱い方が正しくあるように(お光りより預からせて頂く)試み、実践しています。
 さらに平和の願行として六万行願というお便所掃除の奉仕を約一世紀にわたって続けることにより、懺悔と下坐からの建て直しを祈っています。願行に深浅の差はありましょうが、老若すべてが懺悔報恩の心を持って捧げた働きをし、それぞれの能力に応じて働き、必要に応じて恵まれる自然にかなった生活の成就を念願しているのです。


一燈園創始者西田天香さんと照月夫人

西田天香 —挫折から、すべてを捨て、他者のために生かされる人生を歩んだ人。

 天香さんは、1872(明治5)年、滋賀県長浜の商家に生まれました。二十歳にして長浜地方の小作百姓農家を率いて北海道に渡り、500ヘクタールの土地の開拓事業に従事。その将来は事業家としても大いに嘱望されましたが、開拓事業をすすめる中で起こった資本主(出資者)と現地耕作者との間に生じた利害の対立、争いに直面して、天香さんは大いに苦悩し、開拓事業そのものを他人に委ね、人間としての争いのない生き方を求めて求道の日々を重ねたのでした。
 そして、とうとう「争いの因となるものは食べまい」と決意し、三日三晩の断食籠坐の果て、赤ん坊の泣き声を耳にして大霊覚、そこに争わずとも恵まれる食があること、生命の原点を見出し、世にいわゆる「一燈園生活」を創めたのでした。
 それは、無一物・路頭を原点としての懺悔・下坐の奉仕、許されて生きる「托鉢」の生活でした。その事実に立って1921(大正10)年、『懺悔の生活』が出版されるや、天香さんと一燈園の名は一挙に世に知れるにいたり、多くの人が道を求めて天香さんのもとに集まるようになります。倉田百三、尾崎放哉といった当時を代表する文化人も一燈園生活を送ったことで知られています。
 1929(昭和4)年には、京都の山科に財団法人として認可された財団法人懺悔奉仕光泉林(現、一般財団法人懺悔奉仕光泉林)を創設しました。戦後は1947(昭和22)年の参議院選で当選。一燈園生活者にさまざまな導きを残し、昭和43(1968)年2月29日、96歳をもって帰光(逝去)しました。

一燈園生活の根本

 人間は生きんがために食べ、食わんがためには働かねばならないといいます。そこには人間は生きることが目的であり、食べることを目的として働くのが人間であるという、人間観、人生観があります。
 ところがそれを180度転換させて、この生命は授かりものであり、生きようとしなくても生かされており、生かされているから感謝して働かせてもらうのだ、 そのために必要な食は求めなくても与えられるのだ、という生き方をしたのが天香さんであります。そして、その生き方、人間観、人生観に立っているのが、一燈園生活なのです。

より良い社会を築くための仕組み —宣光社の考え方

 天香さんは、「つまるところ、世間のいろいろな争いは我執ということからはじまる。我執を離れて、自分を利すると同時に他をも利する方法はないものか?」と探求してゆきました。そこから、「あらゆる財物は、お光り(大自然、神、仏)からの預かり物である。本来個人が所有すべきものではない」(無一物無所有)という理念のもと、お預かりした物を正しく運用経営するという「宣光社」という考え方が見い出されました。

一燈園の歩み —一燈園の歴史

 天香さんが無一物、無所有、無尽蔵の一燈園生活を始められて100年余り、最初は一人だった天香さんの一燈園生活は、たくさんの追随者、賛同者、縁者に恵まれ、真に争いのない平和な世界を希求する大きな潮流へと育ってゆきました。

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一燈園(一般財団法人 懺悔奉仕光泉林) 〒607-8025 京都市山科区四ノ宮柳山町8番地の3 Tel 075-581-3136 Fax 075-581-3139