人間はもともと自分本位で利己的なものであり、際限のない欲望を持っています。安易と快楽を求める心や他に対する優越欲などもあり、知らず知らずのうちに他を傷つけ、ねたみ心や怨み憎しみなど、さまざまの起りをつくり出しています。
生きていること自体が多くの人の汗と涙の上になり立っており、さらには動植物の生命の犠牲によって生かされているのです。
結局人間は自分の正しさや権利を主張できる何物もなく、むしろ自分の中にいつもある自我的な気持ちを深く反省し、他に与えつくり出しているところの障りの罪深さを詫びていくよりほかにないのです。
単に自分自身のことだけでなく、世のさまざまな障りの根をも自らの中に見つめていく深い懺悔の心を持ちたいものです。生活のすべてにおいて他を責めたり非難するのでなく、互いにまず自分のいたらなさをかえりみる。そしてつねに他より下に自らを置き、悩める人、弱い人の立場で生活することが「下坐の生活」であります。
人々が互いにこのような気持ちを持って日々の生活や仕事に心をつくし、励みあっていけば、争いの生まれる余地はありません。