一燈園とは

一燈園生活の根本

 「自然にかなった生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金に換えないでも、許されて生かされる。そしてそこから世の争いの種が除かれ、平和な社会がもたらされる」。1904(明治37)年、赤子の泣き声を機縁に、天香さんは、一燈園生活を創められました。天香さんの一燈園生活と、そこに込められた願いは、1921(大正10)年の『懺悔の生活』に具体的に語られ、多くの賛同者・協力者を集めてゆきました。この大きな流れは、天香さんを参議院議員、名誉市民(長浜市)となし、一燈園にアルベルト・シュバイツァー賞(贈IARF国際自由宗教連盟)をもたらし、現在も多くの人を教え導くものとなっています。

生かされている生命 -許されて生きる

生かされている生命 -許されて生きる

 西田天香さんは、「生命は授かりものであり、生きようとしなくても生かされており、生かされているから感謝して働かせてもらうのだ、そのために必要な食は求めなくても与えられるのだ」とする生命観・人生観に立った無所有奉仕の生活をはじめられました。天香さんの生命観・人生観は、生きるためには他の生存を脅かしてよい、奪ってもよいとする生命観・人生観とは根本的に土俵を異にするものです。
 一燈園は、天香さんが開拓された生命観・人生観のままに生活を送ろうとする人たちの集まりです。

一燈園生活における托鉢と食

一燈園生活における托鉢と食

 人が奪い合うのは執着からだと一燈園は考えます。財産や地位や名声への執着は争いの種でもあるのです。
 これに対して、見返りを求めず、無執着の気持から世に働きかけるとき、人は奪い合いから無縁だといえるでしょう。
 無執着の気持ちからお互いに与えあうことを理想として、一燈園ではまず自分から他に捧げることを行います。これが一燈園の托鉢(たくはつ)です。一燈園生活は、托鉢に捧げられた喜捨によって生かされる生活です。

懺悔・下坐の生活 -わびあい・拝みあい

懺悔・下坐の生活  -わびあい・拝みあい

「ありがとう」と心から言うとき、私たちは自分を誇る気持から離れています。
「ごめんなさい」と心から言うとき、私たちは人をねたむ気持から離れています。
ありがとう、ごめんなさい、が素直に口から出てくるように、一燈園では、つねに他より下に自らを置き、悩める人、弱い人の立場で生活することを実践しています。これを懺悔・下坐の生活と呼んでいます。

一燈園生活の願い -皆倶成就大円覚・将来世界真平和

一燈園生活の願い -皆倶成就大円覚・将来世界真平和

 一燈園生活の究極の目標は、戦争がないということだけでなく、あらゆる対立、憎悪、怨恨、争いを生み出すものを根切れさせ、種をつくり出さない、本当の心の平和ということにあります。
 皆倶成就大円覚・将来世界真平和――地球上の人間がすべて本当に自覚した人間となり、世界に真の平和がもたらされる――無限のかなたにある道標かもしれません。しかし、私たちはこれをずっと祈り続けています。

「宣光社」―預かった財物を争いのない平和な世界のために運用経営する機能

「宣光社」―預かった財物を争いのない平和な世界のために運用経営する機能

 一燈園生活の基礎は、見返りを求めず、懺悔奉仕の気持から世に働きかける托鉢生活にあります。托鉢生活を複数人から協働で行う場合、争いのない人間関係を築き、喜捨された財物を正しく預り、運用経営することが求められます。一燈園生活のこうした実践機能を宣光社(せんこうしゃ)と呼んでいます。
 京都・山科の地にある一般財団法人懺悔奉仕光泉林も、財を正しく預かり運用しようとする宣光社の一つです。

▲ページの先頭に戻る

一燈園(一般財団法人 懺悔奉仕光泉林) 〒607-8025 京都市山科区四ノ宮柳山町8番地の3 Tel 075-581-3136 Fax 075-581-3139