一燈園とは

生かされている生命 ― 許されて生きる

 人間は生きんがために食べ、食わんがためには働かねばならないといいます。そこには人間は生きることが目的であり、食べることを目的として働くのが人間であるという、人間観、人生観があります。
 ところがそれを180度転換させて、この生命は授かりものであり、生きようとしなくても生かされており、生かされているから感謝して働かせてもらうのだ、そのために必要な食は求めなくても与えられるのだ、という生き方をしたのが西田天香さんであり、その生き方、人間観、人生観に立っているのが、一燈園生活です。
 人間の歴史と社会をかえりみても、生きんがため、食わんがためという生存欲求、権利の主張が、人聞社会の対立やさまざまな争いの原因となってきました。
 生きんがため、食わんがためとは、つまり「生きんとする意志」ですが、これを否定して人間は生存できるのでしょうか。自己の生存権を主張しないで、果して人間は生きていけるのでしようか。
 西田天香さんは、まさにその生存権を完全に放棄することによって、絶対に争いの種をつくらない生き方を創められたのです。

上野寛永寺の境内を掃く天香さん
上野寛永寺の境内を掃く天香さん

 天香さんは20歳の時(1892年 = 明治25年)北海道に10戸の農家を率いて渡り、500ヘクタールの開拓事業に従事しました。やがて出資金をめぐって出資者と耕作人との対立に悩み、さらに日清戦争が起ったことも重なって、なぜ人間同士が対立し、憎しみあい、争わねばならないのかという、大きな疑問の虜になってしまいました。
 絶対に争わなくてもよい生き方はないのか一一。考えつめたあげく、事業のすべてを他の人に委ねて裸一貫になり、故郷長浜の小さなお堂の縁側に座り、その答えが見出せぬうちはひと口の食も口にすまいと、死を覚悟して断食を続けました。
 4日目の未明(1904年=明治37年4月29日天香さん32歳)に赤ん坊の泣き声を聞き、それが泣きやんだ時に、母に抱かれてお乳を飲んで、いる赤ん坊の情景に思いいたり、ハッとしたのであります。母と子、そこには乳の供給者と需要者の相反する二つの立場がある。しかも、両者ともに満ちたりた喜びのなかで、一つにとけあった平和な姿がある。立場は相反していても、とも喜びの和の世界一一これが生命の原点ではないか。そして乳もまた天与の自然の恵みにほかならない。
 人は自ら生まれようとして生まれたのではない。生命はその意志を超えたもの(大自然・神・仏)によって授けられ、生かされている。ここにあらゆる生命誕生の真の姿があり、あらゆる生命生存の実体がある。その本来の姿においてこそ、ともに喜びあえる和の世界が現れてくるのだ。一切を大いなるものに委ねきって、ただ生かされるままに、許されるままに生きていけばよい。これこそ争いのない世界の源であり、ここに互いに生きて喜びあい、食べていささかの対立もない世界がある。
 これこそ探し求めていた答えだと、天香さんは悟られたのであります。
 これがー燈園生活の出発点となったのです。

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